その後のポルトガルとイングランド
2007年6月9日NP3亡き後、ポルトガルには実戦に積極的かつ力を持った軍事組織はかなり後に登場する吹雪まで全く無く、軍事面では他国に大きく遅れをとってしまう。
豊富な人材と大きな組織力を持つイングランド相手に苦戦し、常に一歩遅れを取る。
特に軍事面では全く歯がたたず、イングランド私掠による被害が拡大する。
どれだけ被害が出ようが、戦おうとするプレイヤーもほとんどいなかった。
イングランドと違い、そういう組織やチャンネルが無かった、もしくは機能していなかったことが一番の原因だろう。
この時期、実際に私も母国に対して苛立ちを覚えてしまう。
いくらPKと戦おうが援軍が全くないのである。
援軍はいつもイスパニアの軍人や有志たち。
ポルトガルに海賊と戦おうとする人間はいないのか…。
最も情けなく感じたのが、PKK募集中に誰一人として参加しようとせず、ある程度他国のメンバーが集まってから勝てそうなので参加しますというポルトガル民たちだった。
優勢にならないと戦えない。
こんな考えばかりなのだから勝てなくて当然だろう。
負けを恐れて勝利などあるものか…。
少なくともこの時期は、劣勢でも戦います!という気合の入った軍人をポルトガルでは見つけることが出来なかった。
そしてその後、イベリア軍団によって形成が逆転することになる。
豊富な人材と大きな組織力を持つイングランド相手に苦戦し、常に一歩遅れを取る。
特に軍事面では全く歯がたたず、イングランド私掠による被害が拡大する。
どれだけ被害が出ようが、戦おうとするプレイヤーもほとんどいなかった。
イングランドと違い、そういう組織やチャンネルが無かった、もしくは機能していなかったことが一番の原因だろう。
この時期、実際に私も母国に対して苛立ちを覚えてしまう。
いくらPKと戦おうが援軍が全くないのである。
援軍はいつもイスパニアの軍人や有志たち。
ポルトガルに海賊と戦おうとする人間はいないのか…。
最も情けなく感じたのが、PKK募集中に誰一人として参加しようとせず、ある程度他国のメンバーが集まってから勝てそうなので参加しますというポルトガル民たちだった。
優勢にならないと戦えない。
こんな考えばかりなのだから勝てなくて当然だろう。
負けを恐れて勝利などあるものか…。
少なくともこの時期は、劣勢でも戦います!という気合の入った軍人をポルトガルでは見つけることが出来なかった。
そしてその後、イベリア軍団によって形成が逆転することになる。
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